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ちばのココ知ってた?

ちばのこんなとこ、こんなこと、そこ知ってるのに・・・気づかなかった・・・を紹介しちゃいます。


千葉市民ギャラリー いなげ






神谷傳兵衛

ワイン王
 神谷傳兵衛が建てた洋風別荘

国道14号からわずか数秒。石段を登ると、そこはまるで別世界。眼前に広がる日本情緒たっぷりの庭園と白い外壁のモダンな建築物は、まるで大正時代にタイムスリップしたかのような趣でいっぱい。国道沿いの喧騒がまるで嘘のよう…。

ここは稲毛浅間神社にほど近い、千葉市民ギャラリー・いなげ。もともとは明治・大正時代の実業家でワイン王といわれた神谷傳兵衛が大正7年頃建てた洋風別荘である。平成元年、市が買い取り当時の姿を復元。現在は保存公開施設として無料で一般公開している。 市内に残る鉄筋コンクリート建築としては最も古く、全国的にみても初期の建築である。大正12年の関東大震災でレンガ建築の崩壊ぶりを見るまで、コンクリート建築が一般的な建築構造としてまだ十分には認められていなかった時期に建築されたものとして、建築史の上からも貴重なものといえる。平成9年には国の登録有形文化財に指定された。

手入れの行き届いた庭園、悠然と泳ぐ池の錦鯉、年輪を重ねた木。そしてその向こうに凛とそびえる白い外壁の外観が見事にマッチし優雅な空間を作り出している。

内装も見事に復元されている。床柱にはぶどうの巨木を用い、部屋全体をぶどう棚に見立てるなど、内部の装飾にはワイン王をしのばせる意匠が随所にみられ興味深い。

ワイン王になるまで

ワイン王の異名を持つ神谷傳兵衛(1856〜1922)は、明治13年、浅草に神谷バーの前身の「みかはや銘酒店」という飲料店を開業し、酒の一杯売りを始めた。当初はにごり酒を商っていたが、国内での洋酒需要の高まりに着目。輸入葡萄酒を再製することで日本人の舌にあった甘い葡萄酒の製造に成功し、「蜂印香竄葡萄酒(ハチジルシコウザンブドウシュ)として売り出した。次に挑戦したのが葡萄栽培から醸造までをトータルに行う本格的な葡萄酒作りだった。さっそく婿養子の傳蔵(でんぞう)をフランスのボルドーに派遣し葡萄栽培法を研究。その成果をもとに茨城県稲敷郡岡田村(現在の牛久市)の原野を開墾し、「神谷葡萄園」にボルドー原産の苗木を六千本移植した。そして明治34年、傳兵衛はボルドーの葡萄園の最新様式を取り入れた本格的醸造場の建築へと着手した。こうして日本初の本格的ワイン醸造場「シャトーカミヤ」が誕生した。明治36年にはイギリスで行われた万国衛生食料品博覧会に葡萄酒を出品し名誉金牌を受賞。翌年にはパリの博覧会で金賞を受賞。たった数年で数千年の歴史を誇る葡萄酒の本場での栄誉を勝ち取ったのである。

デンキブランは時代を越えて

明治45年には「みかはや銘酒店」を西洋風に改造し屋号を「神谷バー」と改める。現在も神谷バーは浅草の町の社交場として賑わっている。傳兵衛が考案した「デンキブラン」は当時から大変な人気だった。明治〜大正〜昭和〜平成と、時代の流れを経て、今も下町浅草の名物として親しまれている。当時は「電気ブランデー」と呼ばれていた。電気が珍しかった明治の頃、目新しいものは「電気○○」などと称され、時代の先端をゆく流行語でもあったのだ。当時はアルコール45度とたいそう強烈なお酒でもあったため、「電気ブラン」は実にピッタリのネーミングだったと言える。

アクセス
JR稲毛駅より徒歩15分・京成稲毛駅より徒歩6分
開館時間:9:00〜17:00(制作室は21:00まで)
休館日:月曜・祝日(月曜日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
千葉市稲毛区稲毛1−8−35
TEL043−248−8723

 

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