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ちばの人間探訪

「全国制覇を目標に」

(左画像)
 千葉経済大学附属高等学校
 野球部監督 松本 吉啓さん

第86回全国高等学校野球選手権大会で、初出場ベスト4に輝いた千葉経済大学附属高等学校。千葉市内の高校としては27年ぶりの甲子園出場であった。千葉市民が大いに盛り上がり、甲子園初出場ながらの熱戦ぶりは市民に多くの感動を与えた。この輝かしい快挙を支えたのが松本監督である。本格的に野球を始めたのは中学校の軟式野球。桜美林高校3年生でエースとして甲子園初出場初優勝を果たした。明治大学では3年春からエースとして、明治神宮大会・学生野球選手権優勝、日米野球出場。その後社会人野球(明治生命)で12年間プレーした後、埼玉栄高校での監督を経て、2001年、千葉経済大学附属高校の監督に就任。



甲子園初出場までの道のり―

松本監督が就任したのは4年前。部員数は20人に満たず、実力的にもブロック予選に勝てるかどうかの状態だったという。いい選手がいなかったわけではない。技術的に優れた選手がいても、チームワークやバランス感覚など、勝負にはいろいろな要素が絡んでくるものだ。そこで松本監督はこう考えたのである。みんなの目標を明確に定め、全員が一歩でも目標に近づけるよう精一杯のサポートをしようと。こうして「全国制覇」を目標に掲げた。「甲子園に出たこともないのに」と笑われることもあったという。しかし、同じ高校生のどこかの野球部が全国制覇できるということは自分達にもチャンスはあるということ。だったら目標達成のためにすべきことをじっくりと見据え、それを実行していこうと考えたのだった。
そもそも、点を取られなければ勝てるのである。そのためには投手を中心とした守りの野球が目標達成への着実な道といえる。守備練習に常に重点を置きつつ昨年冬ごろからバッティング練習に励んだ。それが甲子園で見事に花開いたといえる。

帽子をとらずにノートをとれ―

モットーは「地元で勝負」。甲子園に出るために野球の上手な生徒を遠くから集めるのではなく、地元から入学した生徒を育てていくのが松本監督の方針だ。
高校野球の場合、技能的な素質よりももっともっと大切なことがある。それは人の話をよく聞き実行すること。練習中に監督の話を聞くときには、帽子をとらなくていいからノートをとるようにと日頃から話しているという。つまりグラウンドへの入場券はノート。聞いた話を記録して目標達成のために必要なことを実行していくことが何よりの基本。そういう姿勢に比べたら、素質の有無などさほど重要ではない。人の話を聞くときに、前のめりで聞く人と、後に引っ込んで聞く人がいるが、成功しているのは前のめりで聞く人だ。何が上達の秘訣かといったら、やるべきことをやる姿勢、これに尽きるのではないだろうか、と松本監督は語る。

本人が気づくために働きかけるのが監督の仕事―

監督として大切なことは、一人一人に合った方法で必要なことを伝えていくこと。高校野球は入学から甲子園まで、たった二年半という限られた時間のなかで、やるべきことを伝え、成果を出さなければならない。生徒が自分のなすべき必要なことにいかに気づき実行していくか、それを支えるのが監督の仕事だと松本監督は語る。また一人一人の能力を見極める眼力が必要。言いたいことがたくさんあっても、監督はじっと我慢。生徒にいっぱいしゃべらせる。生徒の性格や技量を把握したうえで、一人一人が自ら気づいていくように働きかけていく。これが松本監督の指導法である。

僕だってベンチ入りできるぞ、という夢―

約100名の部員がいるが、やめる部員が驚くほど少ないという。ベンチ入りする選手はごく一握りなのに、部員のモチベーションはどこからくるのか。答えは松本監督の選手選びにある。野球の上手な順に選手を決めていくのではない。ベンチで大きな声を出して雰囲気を盛り上げてくれる生徒や、まめに掃除をしてくれる生徒、それぞれがチームにとって必要なメンバーである。上手な人だけにチャンスが巡る野球ではなく、それぞれの生徒が何らかの形で必要とされる選手選びが「僕もベンチ入りできるかも」とみんなに夢を与え、生徒のモチベーションの源となっている。自分が必要とされているという実感ほど、人間の力を引き出すものはないのである。




(2005年1月)


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