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ちばのココ知ってた?

ちばのこんなとこ、こんなこと、そこ知ってるのに・・・気づかなかった・・・を紹介しちゃいます。


銚子市犬岩海岸の「犬岩」


千葉介常胤像「千葉市立郷土博物館所蔵」

千葉にもある義経伝説

源平の合戦での活躍ののち、兄頼朝から謀反の疑いをかけられた義経一行は奥州平泉への逃避行の際、銚子へ立ち寄る。ここでは家来・片岡八郎の兄常春が上総国の殿様として君臨しており、義経一行は温かく迎えられ、奥州の藤原秀衡を頼るようにと勧められる。銚子滞在中の夜、同行中の愛犬がしきりに吠え、しだいに元気が失せていった。「平家の亡霊に取り付かれている、同行を止めるように。」との僧の進言に従い、義経は泣く泣く愛犬を残して銚子を去ることに。海岸に残された愛犬は義経を慕って数日間吠え続け、やがてその姿が岩になり「犬岩」と呼ばれるようになり現在に至る。灯台で有名な犬吠崎の地名も、犬の泣き声が聞こえてきたことに由来、犬吠崎灯台のふもとの「馬糞池」の名は、義経一行が馬をつないでおいたことに由来するといわれる。「千騎ヶ岩」は義経が千騎の兵をもってたてこもったことから名付けられ、長崎海岸近くの二つの島の総称が「宝満(ホウマン)」と呼ばれているのは、九朗判官(ほうがん)義経が訛って「ほうまん」になったと言われる。銚子の海岸にはこうした数々の義経伝説がある。

千葉市内には源氏ゆかりの地がある。当時千葉市周辺の武将だった千葉介常胤(つねたね)は石橋山の合戦で平氏に敗れた源頼朝の再起を兵三百を率いて救援。その後東国の支配確立のために鎌倉へ拠点を置くことを勧め、関東の武将のとりまとめに尽力。木曽義仲追討、一の谷の合戦などで活躍し、頼朝の厚い信頼を得、後に鎌倉幕府における武士の規範と称えられ御家人の筆頭格となった。千葉市中央区新宿の白幡神社で、源氏の白旗を掲げ源氏再興を祈願し、鎌倉へ向かったと言われる。軍勢を率いて鎌倉への道中、現在の花見川区に陣幕を張って一服したことからその地域は「幕張」と呼ばれるようになった。

 

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